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発行者:吉川信雄 編集者:平富人 |
▲厳冬期白山登山記録▲
創立55周年記念
2003年12月29日〜2004年1月2日 金沢山岳会 本田記
12月29日(月)曇り
山岳会館 6:00 吉川会長、中村副会長の見送りと激励の乾杯で出発。
白峰 7:40〜8:00 小松4人パーティ先発。村本、中村喜氏に見送られて出発、
サポートの木谷氏も同行。先行者のワカン拾得。
百万貫岩 9:00 車道は除雪跡あり、積雪10p位、歩きやすくペース早め
市ノ瀬発電所 9:30 全員快調。荷の重さ未だ気にならず。
三ツ谷橋 11:00
市ノ瀬 11:35〜12:05 小松のパーティ出発せず、先に出る。積雪7〜80p
ラッセル交代で進む。
釈迦道分岐 13:30 急なカーブは近道で登行。やや疲れ!
別当出合 17:00 思いの他道は遠く感じる。暗くなって到着。
小松組の4人も同宿。積雪1m程有り。
12月30日(火)曇り〜晴れ
別当出合 7:00 木谷氏下山、小松組と交代で膝までのラッセル。
中飯場 9:45 「小松のアンチャン」昨日とは別人のラッセル。お見事!
甚ノ助小屋 12:45 積雪1.5m、小屋の扉、雪に埋もれエンピで掘り出す。
13:05 天候良く昼食後、弥陀ケ原取り付きまでルート工作に出る。
小松組も参加。 樹氷が素晴らしい。
弥陀ヶ原取付 15:00 五葉坂入口に向けてポールを数本建殖。天候良く眺望絶景
樹海をバックに写真タイム!小松組は頂上へ向かう。
甚ノ助小屋 16:20 翌日にむけ英気を養う。小松組室堂までとの事。
20時交信。木谷氏、甲部氏に本日の経過と翌日の計画を報告!
12月31日(水)雪
甚ノ助小屋 7:30 小松組早々に下山。風雪強く視界悪し。標識に従い慎重に行動。
新雪10〜20pあり。
弥陀ヶ原 9:20 ポールを15m〜20m間隔で立てながら進む。
ホワイトアウトで風雪強く厳しい冬山を充分堪能せり。
五葉坂取付き 10:10 五葉の取付点不明にて偵察に出る。荷揚げ時の標識を確認!
ハイ松の斜面を登る。風雪厳しく雪面堅し。途中夏道に出る。
室堂 10:30〜12:25 冬期小屋の窓を開け室堂に入る。2階の扉が開いていて
小屋の中には雪!室堂の気温−10℃、荷上げ物資の内から
キムチ等を出し身体の中から保温。
検討の結果、ポールの数も足りないので登頂を断念!
神社にお参りし、下山の途に着く。積雪2〜2.5m。
ところにより4mも有り。一部氷化あり。
甚ノ助小屋 14:05 帰途、風雪強し。風速10〜15m。体温低下し、ポール時々見失う。
慎重に標識を確認し、無事甚ノ助小屋に帰還す。
小屋に単独行者あり。一同驚くも冬山の危険度多に喧伝す。
大晦日につき、飲み且つ話す。単独者も交え「行く年、来る年」
ラジオの「紅白」を聞きながら2003年最後の眠りに入る。
1月1日(木)曇り時々晴れ
甚ノ助小屋 8:50 新雪40cm有り。単独行者早朝下山。踏み跡を辿り下山す。
視界良好、大長山、赤兎山が眼前に白く輝く。
新年の登山としてはベリーグッド!
中飯場 10:20 雪深くとも快適に下山す。中飯のトイレの屋根には2mの積雪
別当出合 11:25 デポからGASとアルコールを回収していざ市ノ瀬へ。
市ノ瀬 14:20 センター玄関前にテント張り、最後の晩餐。
山岳会の歌も飛びだし新年の宴たけなわ!
就寝22時過ぎ、この山行最も遅い就寝時間であった。
1月2日(金)晴れ
市ノ瀬 10:05 天候も上々、道路の雪も昨日の天気で消滅、
午後3時迎え人と合流の約束もそぞろ、段々歩速も増して行く。
百万貫岩 11:30 迎えの木谷氏に連絡、こちらに向かっているとの報に安心!
白峰 13:20 ゲートにゴール。振り返れば主峰の山なみが光る。
「思えば遠くへ来たもんだ。」の言葉に納得!温泉につかり大満足。
15:15 迎えの村本、中村喜、木谷3氏の「いなりうどん」と
ビールの差し入れに大感激し、金沢に向かう。
山岳会館 16:45 途中、鶴来署に下山届けを出し、無事会館に帰着。
5日間支援頂いた人々に感謝しつつ、解散する。
(思いついた事)○冬山の楽しさと、厳しさの両方を経験できた山行であった。
○準備には限度がない事を知った。
○ 勇気ある撤退でも満足感は生まれる。
○ワカンを落とす、持ってこない。
冬山の大事な装備をないがしろにすると後で泣く事になる!
○隊員だけではなく、支援者あってこその安全登山である。
○技術は先輩から後輩へと繋いでいく事こそ山岳会の真髄である。
以 上
< 平 の記録 >
隊員 氏名
新 耕一 本田克也 中川利雄 平 富人 松谷亮一(倉精)
サポート隊 氏名
村本建次 木谷秀昭 中村喜代子 木村芳文
11月16日 荷上。
市ノ瀬、別当出合、甚ノ助、室堂
12月29日
午前6時、会館集合。
吉川会長、中村副会長の見送りをうけて、会館を出発。村本、木谷氏の車に分乗、白峰を目指す。
天候は曇り、寒くない。8時30分、公園口ゲートを出発。木谷氏は山中一泊の行動予定にて同行。公園線は除雪されており、路上には数センチの積雪があるのみ。早めのピッチで先を急いだ。(ゲートでは小松市在住の4名が出発の準備をしており、われわれより30ほど先行して入山。)
12時過ぎに市ノ瀬着。ここで小休止の後、小松隊を追い越して別当出合を目指す。積雪は約80センチ、これより先は除雪なく、ラッセルとなる。
5年前、10年前の厳冬期白山に比べると積雪が多いように感じた。しかし、雪は締まっており、ワカンの沈下は深くない。平がシール付板で先行するも特に早いと言う訳ではなく―慣れない板の使用で膝に痛みを覚え、S字大曲付近で板の使用を断念。小松隊のラッセル応援が期待できず、多少のボヤキも出てしまった。
17時過ぎ、別当出合着。軒先を借りて、天幕は使用せず。風雪ともに無く、穏やかな一夜だった。
12月30日
曇天。7時30分、木谷氏に見送られて、別当出合を出発。吊橋上手の川原を渡渉、砂防尾根の突端を直登。小松隊と交互にラッセルを行い、大いに助かる。快調にラッセルを続け、13時30分甚ノ助着。
曇天はいつしか快晴となり、紺碧の空、純白の峰が眩しいかぎり。甚ノ助の積雪は約2m、ドア側は風の巻き込みで間隙があり、エンピで容易に除雪して中に入る事が出来た。
お湯を作る事もなく、早々にルート工作を開始(小松隊も同行)。言わずもがな、金沢山岳会会員周知のルートを設定。弥陀ヶ原から五葉坂を狙えるラインにポールを設置、明日の万全を期す。
20時、無線機にて木谷氏、神戸氏(県警)と定時交信。周波数は439.22Hz、その明瞭な音質に驚く。(木谷氏は自宅を離れた高台にての交信で、感謝のしようもない。)
12月31日
7時30分、御前峰へ行動開始。装備は室堂冬季小屋での就寝が可能な荷とした。(小松隊は日の出と同時に下山。)
ガス、風雪有り。弥陀ヶ原の通過では慎重にポールをセットして進む。視界が極めて悪くポールの間隔は20m未満となる。五葉坂の左約30mに取り付く。ハイマツ帯を登り、夏道に合流、室堂に至る。
風雪、視界は、はますます厳しくなり、背中越しでは声も通らない。一旦、冬季小屋に待避して合議する。山を知る隊員諸氏の薦めで、御前峰の登頂を断念する事を決定。
天候に関して言えば、昨日の天国、今日の地獄。荒天での弥陀ヶ原の通過、登頂の可否を判断するに必要な条件を、身をもって知りえた事を私は嬉しく思う。
明日の天候回復は望が薄いと判断して、甚ノ助へ移動。弥陀ヶ原では数時間前のポールがはや埋もれかけていた。
20時、木谷氏と定時交信。2日の下山、配車の希望を伝える。
(甚ノ助へ帰ると単独行の若者がシュラフに包まっていた。別当までは板で、以後はツボ足で来たそうである。「明日は室堂」と言う彼に、豪気な人がいるものだと、皆で感心する。)
1月1日
若者は新雪を蹴立てて早朝に下山を開始。
我々も彼のトレースに導かれて、下山。午前中は曇天ながら、遠見はきく。
昨夜、室堂泊なら、御前山頂に容易に立てたであろう。リーダーである平の過誤と言われても仕方あるまい。
市ノ瀬にて幕営。
1月2日
路上の雪もすっかり融けた車道を歩く。13時30分、白峰ゲート着。
木谷氏、村本氏、中村喜氏の出迎えを受ける。湯浴みの後、3氏による手製のうどんを御馳走になる。
16時30分、金沢着。
会員諸氏のサポート、助言が有ったが故に、この山行が無事終了できたと思う。
かさねて、金沢山岳会会員であることを嬉しく思う。
▲能登の山 記録▲
2004年 4月24〜25日 記録 浅田
参加者
吉川会長 藤村 新 本田 中川 中村孝 池村 坂田 浅田
任田 正来 中村久 中村喜 田森 玉谷
24日
8:10 上田氏宅出発
ヤセの断崖
義経の船隠
11:05 阿岸 本誓寺
石川県指定文化財 茅葺 及び アギシコギクザクラ
11:57 大丸山 319m(山頂を確認できず。)
12:30 昼食
13:10 下山
13:55 峨山道へ入るも、雨が降り出す。氷まじりとなる。
14:12 山頂 蕨(わらび)有り。
14:40 登山口 古和秀水で休憩
16:00 宿泊地 高森元輝氏宅 (門前町) 入浴は「じんのびの湯」
18:00 夕食 山菜天婦羅、お造りで盛り上がる。
25日
5:00 起床 散歩
6:00 高森氏案内によりブン珍さんの別荘を見に行く。
別荘地より鹿磯の港、深見まで観光。
途中、高森氏の顔で小鯵、イカ等を頂く。
9:00 出発 輪島-町野-柳田
10:15 やすらぎの里 金蔵寺拝観
10:45 天笠山(テンガイサン)
昨年は所在地が未確認だったので登れず、本年再挑戦。蕨多し。
11:20 小高い処を山頂として、下山。
11:45 駐車地点に近くなったところで農作業の人に聞くと、
我々の登ったのは隣山とのこと。昼だったので山頂は次回とする。
11:55 バスに乗る。
12:20 「じんのびの広場」にて昼食
13:15 帰路につく。能登空港-海浜道路-金沢
16:00 上田氏宅に到着。解散。
* 運転した本田君、坂田君 ありがとう。
▲残雪の白山登山 記録▲
2004年 6月5〜6日 記録 たいら
残雪は少々でしたが、観光新道の登りは新鮮でした。
弥陀ヶ原は一面が雪、天候は上々。
約1時間の補修工事でした。
大汝を下り、六地蔵へ。
やっぱお参りは欠かせません。
小雨のなかを観光新道新道を下山。
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